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第8回ロゴスの文化教室
−権威者が語るグリーンの魅力!

英の作家グレアム・グリーン研究の大家、山形和美氏【やまがた かずみ】(筑波大名誉教授)の講演会が6月6日、東京のニコラ・バレ修道院ホールで開かれた第8回ロゴスの文化教室で実現しました。演題は、「キリスト教と文学−グレアム・グリーンの場合」。  

この講演会は、四年前の秋に企画しましたが果たせず、今年のはじめになって山形先生から、「時間を取るからぜひ開いて欲しい」との声がかかり、復活したものです。ボランティアさんや利用者の皆さんのご協力により、スタッフを除いて80名のご来場がありました。  

山形氏は、講演の半分をキリスト教文学論に費やしました。まず、イギリスの知識人ニューマンやアーノルドの「罪深い人間についての罪なき文学を試みるのは、ことばの矛盾」とか「宗教、文学、科学の関係の中でキリスト教は科学と共存できない」などの主張を取り上げます。

更に先生は資料を駆使して、サルトルが「神は芸術家ではない」と仏のカトリック作家モーリヤックを攻撃し、それをグリーンが弁護した経過にもふれます。キリスト教と文学に関してはエリオットやボードレールの見解も紹介されましたが、結論的にはモーリヤックの「小説家は、最も高貴な人物の中に見られる神に反逆する要素を、つまり最も内奥の悪と偽装を示し、同時に堕ちたかにみえる人間の中にある純潔(聖なるもの)の隠された源泉に光を与えること」(『神と悪魔』)を引用して、グリーン論に移りました。  

後半は、『ブライトン・ロック』『力と栄光』『事件の核心』『情事の終わり』などグリーンの代表作を解説し、特に『情事の終わり』は「不在の神と情事と信仰という項目が絡みあう状況は、結末の予断を許さないほど神学的にも文学的にも奥行きの深い可能性を秘めている」と評価しました。

全体としてお話は難しいものでしたが、その合間に「遠藤周作の『沈黙』を私は評価していない」と言って皆さんをどきっとさせましたが、その理由は聞けませんでした。これには皆さん不満だったようで、終了後「それを知りたかった」という声が出ました。しかし、「もう一度グリーンを読み直したい」との声も挙がり、先生は何かと皆さんに話題を投げかけたようです。  

総じて先生のお話は、欧米のキリスト教精神をがっちり身につけた学者・権威者として、梃子でも動かぬ骨太の強さを印象づけました。

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